科学者によるエッセイ本「キュリアス・マインド/ジョンブロックマン編(幻冬舎、2008)」についてです。この本は科学者(主にアメリカ出身)の生い立ちに関するエッセイをオムニバス形式で集めた本の邦訳です。(原著は英語です)

27人のエッセイ

27名の著名な科学者(物理学、心理学、文化人類学、コンピュータ科学など)がエッセイを書いています。特に、科学者を志したきっかけや子ども時代の体験が焦点となっています。本の体裁は大きめの横書きカラーで、文字サイズも大きめなので少し教科書のようです(持ち歩くには重くサイズも大きいです)。読者として学生や教師、親を想定していますが、本文には科学の専門用語や固有名詞なども多く出てきます。

27つのエッセイははれぞれが独特で個性的な話なので、本全体から何か普遍的なものが導き出されるわけではありません。この本からすぐに参考にできることは、自然や芸術に多く触れること、本をたくさん読むこと、くらいのように思います。個々の経験や体験はすぐにまねできるものではないのですが、それぞれのエッセイの中で印象に残ったエピソードをいくつか以下にメモします。

リー・スモーリン

リー・スモーリン(理論物理学者)が10代の頃にアインシュタインのエッセイ本を読んで心に響いた考えが、とても興味深く感じました。スモーリンは本の影響から物理を志すようになったようです。

アインシュタインのエッセイ“Autobiographical Notes(自伝の記)”を読み始めた……心に響いた彼の考えがあった。科学者になれば、日常生活の傷みも不安定さも超越できる。自然の法則を手に入れれば、世界のあり方と美しくかつ永続的に結びつくことができ、限りある人間生活にあくせくすることもなくなる。(引用元: キュリアス・マインド 97ページ)

この考えに魅了される気持ちはとてもわかりますが、そこで啓示のように物理を志せるところが、スモーリンの才能なのだと思います。

メアリー・キャサリー・ベイトン

メアリー・キャサリー・ベイトンは文化人類学者で、10代の頃に母親と一緒にアメリカからイスラエルに2週間滞在することがありました。ベイトンはそこでそのままイスラエルにとどまりたくなり、大学に入るためのヘブライ語の勉強を始めました。そんな彼女のヘブライ語学習に対する思いに驚きました。

ヘブライ語の学習は、私にとってはメンデル比について聞かされたときと同じように心躍ることでした……新しい言語は、新しい考えを膨らませてくれるものです。ヘブライ語を習ううちに、ある確信が生まれました。私は今、世界を違う角度から見る目を養っているだけではない、多様化する世界を受け止め、違う概念を理解できる柔軟性を養っているのだと。(引用元: キュリアス・マインド 124ページ)

私は外国語である英語を勉強していて、そんな風に感じたことはありませんでした。メアリーのように思えたらどんなに楽しく幸せなことだろうと思いました。言語学習に対して、そんな風に感じられる感性や知性を持ちたいと感じました。

ハワード・ガードナー

ハワード・ガードナーはハーバード大学の心理学の教授です。人間の知能に関するMI(Multi Intelligence)理論を提唱することで知られており、著書も多数執筆しています。ガードナーは、この本の読者(学生や先生など)を意識して以下のように記しています。

いったん決めた進路が絶対だと思い込んでいるような若い人たちにアドバイスがあります。それは「最初から仕事を限定してはいけない。やりたいことが決まったなら、どんな進路をとれば、その先数十年、最大限の機会と柔軟性のある自由を手に入れられるのかを見極めなさい」ということです。

科学者に限らず、どの分野にも言えることではないでしょうか。とても大事だけれど実行が難しいことのように思います。

J.ドアン・ファーマー

J.ドアン・ファーマーは物理学者(カオス理論と複雑系理論のパイオニア)で、エッセイの最後で語られていることに私は非常に共感しました。

ときどき、今の自分は、定まった運命とまったく行き当たりばったりの環境が奇妙にまじりあった結果なのではないかという思いにかられることがある。大きな歴史的出来事は意外なほど影響力が強く、個々の人生の展開と自然にからみ合うようにできているのかもしれない。アドルフ・ヒトラーが存在しなかったら、この国でGI法が設立されなかっただろうし、父もたぶんエンジニアにはなることはなく、うちがシルバーシティに引っ越してくることもなかっただろう。ジョセフ・マッカーシー上院議員が存在しなかったら、トムが西ニューメキシコ州立大学で教職につくことはなかっただろう。ヒトラーとマッカーシーという極悪のふたりのどちらか片方がいなかったら、トムとぼくは出会うことはなかった ー そうしたら、ぼくは科学者ではない他になにかになっていたかもしれない。それがなにかだって?さあ、まったく見当もつかない。(引用元: キュリアス・マインド 223ページ)

自分の人生や生い立ちを振り返って思ったとても正直な感想だとと思います。私は戦争ほどの大きな社会変化の影響は受けてはいないものの、偶然や環境の行きあたりばったりというのは私もよく感じます。

スティーブン・ピンカー

スティーブン・ピンカーはハーバード大学心理学研究室の教授で、一般向けの啓蒙書も多数書いています。この本のなかで最もおもしろいエッセイでした。それは、この本のコンセプトである「人生を振り返ったエッセイ」の信ぴょう性を、心理学的に否定しているからです。

人生におけるさまざまな選択に関して、僕たちは誰も選択した理由を特定できる実験をしたわけではないから、本当の理由などわからない。(引用元:105ページ)

子供時代の体験が現在のぼくたちを形作ったのではなく、もともとある自己が子供時代の体験を形作っているのだ。(引用元: 108ページ)

人が科学の道に進む理由は実際どこにあるのだろう?ぼくが思う事実とは、次のようなことだ。遺伝子と偶然のおかげで、生まれつき科学に必要不可欠な才能と気質に恵まれている人がいる。たとえば、自然界への興味、機械や数学に対する理解力、肉体的・社会的な娯楽よりも知的なものを好む傾向、などだ。そういう人は、普通の子供時代を送る限り、現代科学が提供するさまざまな好機に直に触れられるだろうし、魅力的な教師たち、活動、書物、クラブ、講座、仲間、趣味といったところに引き寄せられもするだろう……ぼくは自分たちを形成するうえで環境が重要ではないといってはいない。ただ、この環境-文化や社会-は、ある集団の全員にはほぼ等しくあるもので、僕たちは自分とその中心で比較してみているだけにすぎない。だから、文化や社会といった環境は、どうして今の自分になったのかと語る中では意味をなさないのだ。(引用元:110ページ)

同様の内容を、ジェリス・リッチ・ハリス(進化心理学者)もエッセイの中で述べていました。ピンカーの話にはとても納得しました。エッセイというのは、書き手が(無意識であれ意識的であれ)ある程度理想化したり、自分の都合に合わせて認識をゆがめているものです。かといって、エッセイに価値がないわけではありません。大切なのは、ピンカーの言うようにうのみにすのではなく、取捨選択して参考程度に楽しむことだと思います。

科学者のエッセイ

キュリアス・マインドを読んで、科学者が自らの人生を振り返るエッセイよりも、他人がその科学者の人生を著述するほうがおもしろいのかなと思いました。その例は、藤原正彦先生の「天才の栄光と挫折―数学者列伝 (文春文庫)」です。この本では、藤原先生が著名な数学者の人生を、自分の経験や体験なども絡めながら記しており、数学者の魅力が存分に伝わる内容になっています。

「キュリアス・マインド」は、各エッセイを書いた科学者についての知識があればより楽しめる内容だと思います。ただし、エッセイそのものは、人生や科学に関する多少の気づきを与えてくれますが、科学者自身の魅力は伝わりにくいものでした。科学者の魅力をより引き出す本に出会えたらと思います。