「科学の扉をノックする」(小川洋子著 集英社 2008)を読みました。登場する7人の科学者がみんな素敵な方ばかりで、内容は易しいけれどとても奥深い本でした。とくに印象に残った箇所を紹介します。

宇宙のはじまりと私たちの起源

この本のまずはじめは、三鷹の国立天文台での渡部潤一先生とのお話です。私は7つの話の中でも、この話はとても印象に残り感動しました。また、彗星を愛する渡部潤一先生が、とても魅力的な人物なことが伝わってきました。

私は基本的な科学の知識として、宇宙の始まりやその起源は知っていました。宇宙がビックバンではじまったことや、地球には最初は水素しかなかったことなどです。ただし、知識はあっても、私はその「意味」について考えることや、思いを巡らせることはあまりありませんでした。この本を読んでその意味に触れ、はっとしました。

「宇宙のはじまりの頃には水素しかありませんでした。この段階ではまだ地球は絶対にできないですね。地球は岩石ですから。この第一世代が水素を燃料にして燃やした灰が、窒素や、珪素や、鉄になるんです。これらは全部お星様の中でできたものです。この星たちが爆発して欠片となり、ばら撒かれたものが第二世代、第三世代の宇宙を作り、惑星ができ、地球ができ、我々の身体もできたわけです。我々の身体の炭素や窒素は、50億年以上前に、どこかの星でできたものなんです。しかもその星は、爆発して、今はもうなくなっているんです」(引用元:32ページ)

宇宙の水素から、時間をかけて新しい星ができて、それが爆発してまた新たな星ができて、それを何度も繰り返して、やっと今の地球や私たちが生まれたようです。今の私たちも、大昔の50億年前のどこかの星でできた物質だったというのは、あまりうまく想像ができません。それに、そのことが意味することもイメージできません。その想像力を、小川洋子さんが補ってくれます。

星が爆発して死に絶えるとき、その欠片たちを人間の中に託した。人間が死ぬとそれは地球の中を循環し、いつか地球が滅びる時、宇宙にばら撒かれ、また別のどこかの星で何かの役割を果たす。
「結局、一度誕生した物質は、無にはならないのです」
死んだ人も枯れた花も干上がった川も、無にはなり得ない。姿を変えて宇宙をめぐり続ける。(引用元:32~33ページ)

質量保存の法則と聞いたら、味気なく素っ気ない宇宙の法則のようにしか感じられない話を、私たち人間の起源や生死に照らし合わせて想像を膨らませています。私はこんな風に考えたことはありませんでした。このような物語としてとらえることができるのは、本当に素晴らしいと感じました。

科学者が語る科学の知識は、どこか私たちの日々の暮らしから離れていて、小難しくて、近寄りがい、そんなイメージがあります。しかし、そこに必要な想像力と物語を与えることで、こんなにも豊かで身近な物語になります。小川洋子さんの持つ、物語を自分で感じながら、想像を膨らませることのできる力は、どのようにして身に着けたのだろうと不思議に思います。

科学と一般世間の間にある距離感は、こういった物語にのせることでぐっと近づけることができると思います。その役目は科学者の側にあると思っていましたが、小川洋子さんのような想像力や感性をもつことができれば、きっと誰でも可能なのだと思います。私たちに必要なのは、自然や世界をただ知るのではなく、そこから想像し、何を学ぶことができるかなのだと感じます。それに必要な感性や情緒は、きっと何より大切なのではないかと思います。

鉱物の博士

鉱物科学研究所の堀秀道先生への取材では、鉱物をルーペで観察させてもらいます。その中でも砂漠のバラと呼ばれる、植物のバラにそっくりな形をした鉱物の話がとても印象的でした。

「球体が簡単な数式で表せるように、おそらくこのバラの形をうまく表す、何らかの数学的な方法があるはずなんです。そういう方面はまだ未知ですが」
鉱物と植物、縁遠いはずの二つの世界に、同じ構造をもった形が存在する。ある統一された法則が、交わるはずのない鉱物と花を、見えない絆で結びつける。そうであるならば、先生がおっしゃるとおり、その法則を表す数式があっていいはずだ。それはきっと、広大な自然を統制するにふさわしい、あまりにも美しい数式であるに違いない。(引用元:52ページ)

鉱物とバラの形が似ている、それだけの事実から、その2つの関係性に思いをはせる堀先生と小川洋子さんがとても素敵に感じました。ふーん、で終わってしまえばそれまでの自然の不思議をすくい取り、その間の絆を想像し、数式で結びつけられないかと考える。とても単純で、科学の楽しみをそのまま形にしたようなシーンです。その間の絆になんの感慨も持つことができなければ、私たちの心はどんなに渇いてつまらないものになってしまうだろうと危惧します。そして私たちの世の中は、そんな渇きに侵されているような気がします。

科学や自然の面白さを感じる心はとても大切なことだと思います。それが、私たちの生活の足しにならなくても、生活の潤いになるのだと思います。そんな堀先生のとても素敵なエピソードがあります。

途中、お茶と笹団子を出してくださった奥様を拝見した時から、ずっと気になっていたことを質問した。婚約指輪には何の宝石を選ばれたのだろうか。
「トパーズです。自分で採ったトパーズです」
有名宝石店で何カラットもするダイヤを変える男の人は、大勢いる。しかし愛する女性のため、自ら大地に出かけ、ハンマーを振るい、トパーズを採取できる人が、世界に何人いるだろうか。(引用元:61ページ)

このエピソードに衝撃を受けました。おもわず、えー!っと声をあげたくなりました。当たり前のように、自分で採ったと答える堀先生のなんて素敵なことだろう。この質問をしてくれた小川洋子さんも素晴らしいです。私なら、そんなことは想像もできませんでした。鉱物を採取する、という発想がそもそもないからです。宝石として身近に存在を知ってはいても、それが大地からどのように生まれ、どのように採取されているかは知らないのです。そう思うととても寂しいことだと感じます。

私は大学で理系の勉強をしていましたが、鉱物について勉強することはほとんどありませんでした。あったとしても、その分子内の構造がどうなっているか、というくらいです。自然の中での位置づけや、どのように出来るか、日本にはどんな鉱物があるのか、…そういったことを学んだことはありません。科学の中では、あまり重要視されていない分野なのかもしれません。こんなにもったいないことはないと感じます。

遺体科学

「遺体科学」という少し衝撃的な名称はこの本で初めて知りました。この遺体科学は、国立科学博物館の遠藤秀紀先生への取材の話で出てきました。小川洋子さんは、遺体科学について日経サイエンスの記事から知った時のことを、このように書いています。

興味深い言葉が目に飛び込んできた。
”遺体にひそむ謎を追い、遺体を人類の知のために保存する「遺体科学」”
”私たちの仕事は、動物の遺体を無制限・無目的に収集することです”
……無目的、という言葉が魅力的だ。潔く、謙虚で、懐の深さを感じさせる。しかし、そもそも科学とは、何かしら形になる発見、成果をもたらすもので、だからこそ目的がはっきりしないあいまいな文学に対して、いつもどこかしら偉ぶった態度を取ってきたのではないか。……なのに遺体科学は、無目的を目指すという。(引用元:145~146ページ)

科学の中で「無目的」という言葉を使うことの勇気はとてもすごいと思います。言い訳や誤魔化しは一切ない、本当に誠実な言葉だと思います。小説家である小川洋子さんは、目的があるから科学は偉いのか?というような疑問も持っていたようです。この言葉に魅了された小川洋子さんは、遠藤先生への取材を決めたと書いています。

遠藤先生の遺体科学にかける思いはとても情熱的で、そしてこの本に出てきた科学者の中でもっとも謙虚でした。

たとえ現代の我々にはつまらない遺体であっても、100年後、200年後の人類は、そこから偉大な発見をするかもしれない。現代人の判断で遺体を取捨選択するのは驕りである、ということなのだろうか。
「そうです。人類や文化に対して私が貢献できる本当の形は、そこだけなんです。私が書いた論文など大したことはありません。そんなもので人類の知は変わりません。けれど、無制限に集めた遺体を残しておけば、次の時代に可能性を引き継ぐことができます」(引用元:149~150ページ)

遺体を取集し後世のために残すことが、未来の人類のために自分たちに課された使命だということに、何の迷いも言い訳もなく、簡潔に述べられています。とても慎ましく清々しい姿勢に、こんな科学者が居るのだととても驚きました。科学者や、それ以外の仕事にも当てはまることだと思いますが、100年、200年後の人類の文化のためにつくそうと取り組んでいる人は、いったいどれほど居るのだろうと疑問に感じます。私自身にも、そうした視点はずっと欠けていたと思います。

「私が書いた論文など大したことはありません。そんなもので人類の知は変わりません。」こう言い切る遠藤先生は、科学の世界の大きさと私たち個人の力の小ささを、きっとしみじみと感じているのだと思います。私たちは、未来のために謙虚であることを忘れがちな生き物だと思います。そのために、色々な失敗や過ちを繰り返し、環境問題や多額の財政赤字をどんどん未来に先送りしているのだと思います。

科学の世界は、本来の無目的を追及すべきという使命と、政府からの税金で成り立つというジレンマを抱えています。そのジレンマについても遠藤先生は述べています。その両者のバランスをとりながら、科学を営んでいるようです。現実と信念の折り合いの難しさは、近年ますます困難な状況だと思いますが、こうした無目的を追及してほしいと願います。

あとがき

小川洋子さんはあとがきで、取材をした科学者についてこのように述べています。

取材を終え私が一番に思うのは、皆さんが奉仕の心を持っておられたことです。目に見えない何か、自分より偉大な何かに対し、戦いを挑むのではなく、謙虚な心で奉仕する。その心がいつも私を感動させました。これほど多くのものを学んだ仕事は他にありません。(引用元:200ページ)

現代の科学は、宇宙の物質について3%知っているだけで、残りの97%はダークマターとして未知の存在です。ヒトゲノムの解読が全て完了しても、そこに書かれた暗号はいまだ3%しか解読できていません。残りの97%のゲノムは謎のままです。そうした自然の偉大さを実感している科学者は、自然にとても挑むなどとは言えないのだと思います。ほんの少し、自然の秘密を分けてもらうために、人間の英知を何世代もつないで科学を営んでいるのだと思います。テクノロジーを発展させた人間は、もしかすると少し傲慢になってしまうことがあるかもしれません。でも、本当の科学者は、とても傲慢にはなれないことを知っているのだと思います。

上記に紹介した以外にも、生物学者の村上和雄先生、スプリングエイトの古宮聡博士、粘菌学者の竹内郁夫先生、阪神タイガースの続木敏之さんへの取材が書かれています。各エピソードはいずれも易しく身近に感じられるお話ばかりです。素敵な本に出合えたことに感謝です。